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宮崎駿の夢の中

宮崎駿;「千と千尋」の海の上を電車が行くシーンなんかはああいうものを作りたいと思ったけども、どこにも嵌らない。嵌るはず無いんです、「もののけ姫」に入るはず無いんです。それはその映画によって嘘のつき方の水準が違うからです。「トトロ」の場合だったら、確かにトトロみたいなのは出てきますけども海は突然出てきたりはしない。雨が降って海が出来ますよ、っていうふうにはならない。それはだから「嘘のレベル」っていうのは作品によって、こう決まるんですよ。だからそれもあって、なかなかうまく嵌らない。嵌った時は嬉しい、それだけなんですけども。(2006年2月27日「生活ホットモーニング」)
てれびのスキマ

眠っているときに見る夢は、現実にはありえない論理でどんどん展開する。これはありえん、夢だ、とわかっているときもあるが、その夢ならではの展開に疑問を抱かず見られる夢もある。論理関係をつかさどる脳の機能が起きているときのようには働いていないのだろう。
ラピュタカリオストロ宮崎駿作品に触れて好きになり、でもちらっとだけ目にしたもののけ姫には惹きこまれなかった私は、千と千尋の神隠しは(ハウルの動く城も)公開後も数年間見ていなかった。最初に見たラピュタカリオストロには、どきどきはらはらしっとりというようなどちらかというとストーリー展開系のおもしろさを感じていたので、話の筋に無理があるという評を目にして食指が動かなかったのだ。
だが、「子どもが大好きで何回も見ています」のような感想も目にしたので「子どもが面白がるということは、やっぱりちゃんとおもしろいのか?機会があれば見てみようか」とも思っていて、偶然読んだ上記引用が決定打となって自発的にビデオを借りた。
小説でも映画でも、ストーリー展開の魅力と文章表現や映像表現そのものの魅力の両方があるが、千と千尋はきっと映像表現そのものを味わう方向の作品なのだろうと感じたからだ。ピーター・パンでなく銀の匙を読む心構えで。展開に無理があるかどうかの判定は、夢くらいの不思議なゆるーい因果律で。
そして、素晴らしさに打たれた。
最近、NHK「プロフェッショナル」という番組でも、イメージが先にあって筋はあとからとあった。神崎のナナメ読み: 宮崎駿監督 in プロフェッショナル【3】
冒頭の記事の中に、子どもはわかる、という宮崎監督の言葉がある。子どもはまだやわらかいからか。こうなったらこうなる、これは全くありえないこれはちょっとありえる普通はこう、という因果関係の体系がまだ頭の中でできあがっていない。夢の中のとっぴょうしもないゆるやかな展開についていける。

ハウルの動く城』も見た。見て満足はしたが、千と千尋を四つ星にしている一方でハウルを二つ半にしたエバートさんの感想にもちょっと同感。ストーリーもいれなければという制約が見えすぎてしまったような気がする。最後の方でどたばたとまとめすぎたような。まあ、夢から目覚める直前はそういうものか。筋にこだわらず、イメージ全開で2時間ちょっといったならどうなるのだろう。

メモ。宮崎駿の凄さについての解説。エバートさんが感嘆していた点(参照)はやっぱり感嘆に値することみたいだ。

まずは「絵が描ける」から凄い。とりあえずこれにつきるでしょう。他の演出家、監督と大きく異なるのはこの部分です。【略】
 アニメ制作には、“絵コンテ”があり、それに基づいて“原画”が描かれ、原画と原画を繋ぐ“動画”が描かれ、美術が描く“背景”を重ねて複合的な絵作りをしていきます。それ以前にも、スタッフ感で「こういった絵作りになりますよ」といった意志疎通を図るための“イメージボード”が描かれたり、絵コンテ以降の分業化された行程を効率よくするために“レイアウト”を取ったりする場合もあるでしょう。
 これらは基本的に、激務なアニメ制作においてはすべて分業で行われています。ですが、宮崎はこのほとんどの行程を経験してきた=自身でできるスキルを持っているのです。
 ただできるだけならそうでもないんですが、そのどれもが高い技術なんですね。これがまず凄い一点目。原画、動画、レイアウト、イメージボード、絵コンテ、演出…やってないのは背景くらいのものでしょうか。
「宮崎駿」はココがすごい!