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『千と千尋の神隠し』「冷たい?母親」の設定

宮崎駿監督の映画『千と千尋の神隠し』で、千尋の両親が千尋に接する様子からすると、全体として千尋に対して母親は冷たい感じ、父親は冷たくはないが無神経な感じがした。

特に印象に残っているのは、両親が歩くペースを千尋に合わせないところ。手をつないでいても。画面の中で千尋はだんだん後ろにずれていき、数歩ごとに小走りになって遅れを取り戻す。「冷たい母親」の描写としてとても現実的だと思った。

宮崎駿の「原画」術という番組*1で、宮崎監督がアニメーターに指示をしている場面を見ると、宮崎氏は人の動きをよく観察しているのだなあと思う。あの千尋の小走りシーンも、やはり宮崎氏の発案だろうか。彼だったにせよ彼以外だったにせよ、監督やスタッフの人は「子どもにペースを合わせない親」のシーンをつくりながら何か感慨があったりしたのだろうか、単に一シーンとして特に何も感じなかったろうか。

となりのトトロ」サツキの母親や大垣のばあちゃんのように「暖かく包み込むように子どもを愛する」ことのできる人でなければ親失格だなどとは思わない。一歩はなれて接する親、そういう親を求める子、子にあれこれと配慮する親、そういう親を求める子、いろいろだ。放置、干渉、いきすぎればどちらも虐待だけれど。


千と千尋の神隠し 母親 冷たい」で検索して出てきた以下のページを読んだ。

http://www.janis.or.jp/users/panman/DIARY/mama4-13.htmlより;
【前略】
数日後、たまたま見たHPでこの母親のことが話題になっていた。発言は主に、あの母親を冷たいと感じる独身又は小さな子供のママ達と、「そんなことないわよ。ああいう発言はごく普通にしてるわよ」と言う大きな子供のママ達が対立という構図。宮崎駿監督が12才の女の子のためにつくったという『千と千尋の神隠し』。リサが12才になった頃、私はあの母親をどう思うのだろうか。
【後略】

あの小走りシーンも、見る人によっては「そうそう現実にはなかなか子どもにペースを合わせてなんていられなくて」という意味での現実感があるのかもしれない。

このエントリはhttp://d.hatena.ne.jp/satomies/20070506を読んだときに例のシーンをふと思い出して書きました。

*1:関係者の方;リンクに問題があるときはお知らせ下さい