「義務を果たしてからものを言え」
「義務を果たしてからものを言え」と言いたくなるときがある。それが正しいときもある。だが、いつだって正しいとは思わない。誰かがものを言う前にその義務は本当に果たされなければいけないのか。疑う余地と否定する余地も私は残しておきたい。
承前
5月4日「権利には義務が伴う」の権利と義務の関係って - ykr
5月5日権利義務追記 (b)(d)は× - ykr
Anonymusさん;
【前略】
新(略)会のおっさんが言いたいのは、『自動車を運転する権利は、交通法規を遵守する義務を全うした上で付与される』
みたいな事だと思います。
【後略】
bathrobeさん;
【前略】
『自動車を運転する権利は、交通法規を遵守する義務を全うした上で付与される』
が正しい解釈だよねぇ
『自動車を運転する権利は、交通法規を遵守する義務を全うした上で付与される』
なるほど。
自動車を運転する権利を主張するときは、飲酒運転しない義務も同時に負う。
これは確かにセットだ。
ということは、(d)だ。本当にセットになっている権利と義務なら、(d)全然OK。
(d)を少し言い換えて、「権利を主張するときに、その権利には同時になんらかの義務がくっついていないか考えてみよう、義務とセットで認められるような権利だったら、権利だけ主張するのはずるだからね。」とすると納得できる。
(c)とも受け取れますね。
Aさんが酔っ払いのふらふら運転に巻き込まれない権利を主張するなら、自分が運転するときにもしらふである義務を負う。
(b)の物言いが気になる理由
なぜ(b)のように言われると気になってしまうのだろう。
具体的な状況を前提とせず、おしなべて権利には義務が伴うから権利を主張するなら義務を守れ、と言われたときに私が感じてしまう反発は、きっとその言葉に、一人ひとりが自分の頭で考えることをやめさせようとしているのではないかという疑いを抱いてしまうからだろう。
その義務は本当にその権利とセットになっているのか
その義務は本当に従うべき義務なのか
他の人の権利と自分の権利がぶつかっていて、あちらをたてればこちらがたたずのときに、相手が優先されるのが適切な結論なのか
という疑問を封じられたくはない。
残業代を払ってください、と従業員としての権利を企業に主張するときに、従業員規則のありとあらゆる条項を遵守していることは条件なのか。
大きな採点間違いがあるから成績記録を訂正してください、と生徒としての権利を公立中学校の教師に主張するときに、校則違反0である必要があるのか。
「個人ブログ一切開設禁止。違反したら懲戒解雇。」という従業員規則があったときに、一体それは有効で、従業員は全くの私的なブログもつくれなくなってしまうのか。
まず義務ありきで、それを守った上で初めて権利が与えられる、というような考え方はしたくない。
まず権利があって、それを主張してしまっていい。でもその権利とセットの義務を破るか、他の人の権利とぶつかってしまう場合、あるいはその可能性が高い確率で予想される場合には、権利が制限されたり剥奪されたり与えられなかったりする場合がある、と考えたい。
正直、酔っ払い運転で人を轢き殺しておきながら運転する権利があるんだと主張する輩に説教する分なら、(b)でも全然構わない。そういう説教に、そうだその通り、と、すっとすることだろう。
また、もしも私が、常に権利を主張される側としてのみ生涯を送ることが確実なのだったら、まず義務ありきの価値観が世間に流布するのは生きるのが楽になってこれも大いに結構。
でも、きっと私は自分の権利を、誰か他の人や何か他の権力に対して主張したくなることのある側だ。
義務は義務だみんな守ってるんだ君も守ろう、じゃなけりゃ権利なんて与えない、という考え方に無造作に同調していると、この義務には納得できないという状況に陥った自分にまでその説教が降ってきて、自分の権利があやうくなったり自分の頭で考えることを否定されたりしてしまうのではないかと、その点が気になるのだ。
ここまでまとめ
「権利には義務が伴う」という言葉を、私は以下のいずれかの意味で使います。また、他の人が使ったときはなるべくそのように解釈してしまいます(最近、きいた瞬間はかちんときてしまった言葉でも、自分が納得できるように解釈しなおせるならそういうふうに解釈してしまおう、という態度でいます。言葉の細かいところが気になるたちなのですが、そうしておくと日常生活を随分と平穏に過ごせます。怒るべきところで怒れなくなるのが心配でもありますが)。
(a)「Aさんの権利には、Aさんの権利を実現するというBさんの義務が伴う」
この対応関係の綺麗さは捨てがたい。ほんとに、おおっと思ったのだよあのとき。
(b)「Aさんに権利があるならAさんは義務も負う」→(c)(d)のように用いられるなら納得。
(c)「Aさんの権利には、Aさんの権利を実現するというBさんの義務が伴う、だからAさんは自分の色々な権利を他人に尊重してもらいたいなら、Aさんが尊重してほしいのと同じ権利を他の人が主張したときには、それを実現する義務をAさんは負うべきだね」 はしょりますと「Aさんが権利を主張するなら、他の人の権利を侵害しないという義務もAさんは負う」これは(a)から派生する原理。
(d)「権利を主張するときに、その権利には同時になんらかの義務がくっついていないか考えてみよう、義務とセットで認められるような権利だったら、権利だけ主張するのはずるだからね」 ただし、権利と義務とのセット関係の必然性や、義務の必要性に対する疑問は封じない。これは(a)とは違う原理。
追記
ブックマークのコメントというのに気付きました。これに反応するのがはてな世界の作法にかなっていなかったらすみません。そのときはご指摘ください。
5月4日のエントリについたものです。
的確さに感嘆して記録。
id:ttpoohさん
2007年05月05日 アレな使われ方では対の関係が消失して権利の総和と義務の総和(しかも階層無視)という捉え方なのかなと思った。納税の義務 vs. 生存権、みたいな。
id:yuubokuさん
2007年05月05日 さらに「権利を主張するのは義務を果たしてからだ」という言説も。ようは相手を従わせたい欲望の発露でしかない。
うう、短いコメントで鋭く要点を突く力を私も身に付けねば。
追記2
4日に「こういう言われようは気になる」と書いた例である「"小学生"ならお席に静かに座っていられなければいけない」という言葉が「気になっていた」理由もはっきりした。2つあった。まず、「小学生なら静かに着席できる」ことが"当たり前のこと"ならば、それを「権利には義務が〜」と重ね合わせることはおかしい。そして次に、学齢期に達していることと「静かに」「座って」いられることが両立しない事情のある人間にまでこれを"当たり前のこと"とする、すなわち「小学生」と「静かに」「座っている」ことのセット関係を疑うな、というメッセージが含意されているなら、これもおかしい。と、気になるのはこういうわけだった。